舞城王太郎『世界は密室でできている。』(2)

誰もが想像しなかった酷い出来事が起こったとき、その責任を事態の認識の甘さに求めることは有効なのだろうか?だとすれば僕もルンババも警察官たちもマスコミの人間たちも皆等しく同罪だ。でももしある世界に属するほとんどの人間が有罪ならば、その罪は果たして本当に罪なのだろうか?それはいわゆる「自然の状態」として看過されるべきなのではないのだろうか?